sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

ニュータウン入口

すっっっかり忘れていて、「DVDでも観ましょ」と入力切替したときに映された画面に見覚えがあって「あっ!!」ってなった。既に女子3ヶ国語責めが行われているところでした。あーうー。ということは太一振り付け部だったり太一クネクネ部はもうながされてしまった後ということです。残念。ちろっとあった出番を観ると「前髪どうにかしようよ……」とつっこみました。

そんな太一おもしろいよ、太一みたいよ記述はおいておいて。

やっぱり何回観てもこの作品を理解するのはできないなーと。宮沢さんの日記とか著作を読んでいるからちょっぴりだけ「ほうほうほう」と思うんですが、全体通すと感じるのはイメージの連なりだけで、どういう作品だったかを言い表すことはできないです。言い表すことができないから演劇にするわけですよ!てなサンボマスタイズムを都合よく取り出してみたりして。

ただ、山縣太一氏が出ているのも、宮沢さん自体がチェルを面白がっているのもあって、そしてそこへ現われた「ニュータウン」という姿、キレイな姿を作り出すために排除するノイズたちの噴出、などを見ていると、岡田さんが「三月の5日間」小説版で書いていた「みんなおんなじは気持ち悪い」という考え方と根っこはつながっているんだろうと思ったりもする。前に「ノイズ文化論」を読んだときにも書きましたが、パのつく少女たちが「完璧な計算で作られたこの街を逃げ出したい」と歌っているのもつながっているように感じたり。最近触れるものの中に、こういう完璧とかキレイに対する違和感を訴えるものが多いように感じます。自分が選んでいるのか。

アンティゴネがイスメネに対して「○○なんて!オレは自由を選ぶ」って言ってたのがものすごく印象に残っているのに、何に対して自由を選んだのか忘れてしまいました。ラスト近くでは自由を選んだほうが死を選んでいたりするから、もう一回観たい。録画しておくべきでした、もとい、忘れちゃならなかった。インタビューもあったんだろうなぁ。金曜日になってから忘れてしまいがちなのです、この枠の放送。