sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

岡村ちゃんの報を聞いて、降りしきる雪をみながらつらつら考えたこと

といいながらも岡村ちゃんのニュースについて直接どうのこうの言っているわけではないのでたたみます。


許すとか許さないとか信じてたのに裏切られたとかは別に思わないんです。
ただ同じ時代に産み出される可能性のあった作品にもう出会えないんだろうなぁというのは悲しい。いなくなってしまって寂しい、という言葉が一番しっくりくるのかなぁ。

体にダイレクトにくるものに抗えない、ってことについて考えたりしました。以前貴乃花が整体師の方に心酔してどうのこうの、というニュースがあったときに、そういう発言を聞いて、それこそよく分からないけどなんだかなるほど、と思ったのです。いつまでもきっぱり煙草をやめられてない自分とか、PMS期のいかんともしがたい落ち込みやイライラを思うと、その抗えなさは知っているようにも思い。頭で理解するよりも、いくら考えても言葉に出来ない作品の方が心に残っている、そんなサンボマスタイズム*1までにも拡大解釈してみたりもして。

前回の復帰のAP BANGのとき、私は岡村ちゃんのパフォーマンスもだけど、本番1週間前くらいにアナウンスされて、何回もあったはずのプレは全部終わっていたというのに、新木場くんだりまで集まって、フロアで渦をまいていた岡村ちゃんを待ち焦がれた大勢の人たちに*2、本気で驚いてずしん、とした感動を味わったんでした。それはバックバンドとしてステージ上にいた方々の表情にも表れていたからこそ、本人にもかなりのアピール力で通じたんじゃないかと思ったんですけど、ねぇ。それでもやっぱり体にダイレクトには抗えないのかな、って寂しくなってしまいます。

薬がどうの制度がどうの本人の意思がどうのってことはよく分からないから語りません。ただこういうふうに思ったよ、ということをメモ。

ここのところのこうださんのニュースで、怒りの発言をしている人の気持ち悪さを感じていたのもあって書きにくいです。あのニュースに怒ってたのって35歳以上の出産未経験の女性ではないような気がして気持ち悪かったのです。「産みたくても産めない人をおもんぱかって発言している正義の人」に感じる違和感。ニュースコメンテーターがすぐに「××していかなきゃいけませんねー」で〆る他人事っぷりとか、運動会でかけっこをなくす気持ち悪さとか、そういう正義の振りかざしっぷりそのもの。なんかそいうことを少なくとも今は言いたくないのです。

あと「許す」「許さない」「信じる」「裏切る」ということについても。「許さない」とか「裏切りやがって」とかって、相手が「許して欲しい」と思ったところで成立する関係のように思うので、一方的に発するには勇気のいる言葉です。怒りを表明して伝えることよりも「別に許してもらわなくてもいいよ」って言われてしまうことの方を恐れてしまうといいますか。……なんだこの青臭スピリッツ。

*1:「言葉にできないから歌にするわけですよ!」

*2:少なく見積もっても会場の3割は占めてたと思う