sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

アクト・オブ・キリング

GWにジャック・タチ映画祭のために通ったイメージフォーラム。ちょうどそのタイミングでイメージフォーラムのみで公開されたばかりで、イメージフォーラム前に人があふれていました。


私はというと、ジャック・タチ全部観たいし、なによりスカッと楽しい映画ばかりを観ていたい気持ちだったので、観てみたいなと心のすみっこで思っていながらもなかなか行動にうつせませんでした。映画の日に、映画の日しかお安くならないイメージフォーラムで「ヴィオレッタ」観たいな、ってことでついについでに*1観てみることにしたのです。


ジョシュア・オッペンハイマー監督によるドキュメンタリー映画作品。

1960年代、インドネシアで行われた100万人規模の大虐殺を加害者の視点でとらえた作品となっている。

オッペンハイマー監督が当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、今なお英雄として

優雅に暮らしている加害者への取材を敢行。映画製作を喜ぶ加害者たちは、監督の「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していくにつれ、自身の行為と向き合うドキュメンタリー。
はてなキーワードより引用)

殺人は許されない。殺した者は罰せられる。鼓笛を鳴らして大勢を殺す場合を 除いて(ヴォルテール
(映画冒頭で表示される言葉)

やっぱり激重でした。


使用前/使用後ではないのだけど、同じ殺人現場で同じ人物が全く異なる様子で同じことについて語るところ、そのあまりの真逆っぷりにこちらの体調まで悪くなりそうな気持ちでした。最初に語るとき、内容が相当エグいのに明るい調子で笑顔で踊りながらだもんで、それを思い出してラストを観ると余計に。



最後まで観ると、「この映画以後」に思いを馳せてしまいます。
わたしは歴史については古今東西ほんっとに無知なのですけれど、アンワルは虐殺を「共産主義者は悪だから殺すのは正しいこと」と認識して行っていたのでしょうか。そしてこの結末は、メイン登場人物であるアンワルにとって幸せだったのでしょうか。だって「英雄として優雅に暮らしてい」たのでしょう?テレビスタッフに裏でちょっと「こいつ人殺しだ」みたいなこと言われていたけれど、本人は悪夢をみていたけれど、でも悪夢として処理できていたし、「英雄」として過ごすことができていた。


わたし、先週「昭和レストレイション*2」観たばかりなのです。
二・二六事件を起こした彼らは、国のためによかれと思い、自分たちの使命と信じて正しいことだけを遂行してきたはずなのに、天皇に激怒され、しまいには「逆賊」扱いされたわけで。
アンワルにとってはそれと同じことがここで現実に現在に起こってしまったのではないかと、知らない方が、気づかない方が彼にとっては幸せだったのではないかと、あの老人のことを案じてしまうのです。
そして、さっき観た「ヴィオレッタ」みたいに、映画という「芸術」が一人の人間を壊してしまっちゃわないのかと案じてしまうのです。

そう感じること自体が、わたしがここで描かれているものをきっぱりと「他人事」と思っているということなのだろうとは思いますが。


エンドロールのはじめに帰り支度のためにざわざわとしていた映画館が、エンドロールがすすむにつれてしん、と静まり返りました。

*1:ヘンな言い回しだな

*2:http://d.hatena.ne.jp/ko-moto/20140524#p1