sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

矢野顕子 @ すみだトリフォニーホール

節約節約、といっちばん後ろの席である「ジーンズシート」にしてみたんですが、さすが音楽用のホール、音がきれいに聞こえてお得感ありました。だいまんぞく。
本日はデビューアルバム「Japanese Girl」を全曲やるという珍しく予告された内容で行われたコンサートでした。

コンサートの間に感じたことを書いているけど、いわゆるライブレビューからは程遠い、ほぼ矢野さんのコンサートには関係ないことを書いてしまったのでたたみます。


ちょっとやってくれた新曲、タイトル「しまった」だったかな、すごくよかった。ものすごく好きなのに顔が思い出せない!という詞が、昔読んだ岩館真理子の漫画「まるでシャボン」を思い出しました。好きな人の顔を恥ずかしくてみれなくて、いつも彼の足元ばっかりみてた、みたいなモノローグのある乙女で切ない漫画。

それもあってか、本日はスペシャルプログラムだったのに、しょっぱなの方の「電話線」が妙にぱきっとさわやかに聴こえたことによってなんか変なテンションになってしまったんです。
「電話線」を聴いていたら雲ひとつない青空に言葉が走っていくようなイメージが浮かんできて。この潔さ、ぱきっとした突き抜けるような爽快さ、ちょっぴりの切なさ、なにか知ってる!と思ったら、思い浮かべているのは萩原朔太郎の詩「竹」だったのでした。教科書で読んで、頭の中に竹の姿が鮮やかに描き出される瑞々しい表現に一発でやられて、当時は(今もかな)選集しか手に入らなかったのを買い求めてずっと読んでいたのでした。そして、萩原朔太郎といえば、子供が蛙を殺してかわゆらしい手をあげたりする、そんな残酷な表現の根っこに常に流れる寂しさが特徴であると思っていて。そんなものだから、いなくなっちゃった複数の「あの人」たちをわんわんと思い出してしまうにいたり、急激にものすごい寂しさが襲ってきて、それがずっととまらなくなってしまって、えらいこと凹みながらみることになってしまいました。
負の連想が連鎖に連鎖を重ねてひどいことに。もったいないことをしたような気もしますがそれはそれでよかったんでしょう、と無理にまとめてみる。