sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

遭難、 / 劇団、本谷有希子 @ 青山円形劇場

マチネ。
ここのところの本谷さんがらみの公演からすると、かなり直球の本谷節できています。評価は高そう。好きな人も多そう。
ただ、個人的には……でした。
なぜか強烈な眠気に襲われているので、詳細は後日追記します。

出演:松永玲子ナイロン100℃) つぐみ 佐藤真弓(猫のホテル) 吉本菜穂子 反田孝幸文学座


(後日追記)
レビュー……というか感想ですね、追記しました。が、まだ公演中ですし、ネタバレしてますし、ちょっと辛口に書いてしまっているのでたたみます。この公演を楽しく観た方は不快に思われるかもしれませんのでご注意を。


観た直後に思ったことは「本谷さんの著作やパーソナリティを追いすぎちゃったかな」ということでした。以前、「生きてるだけで、愛」読了時にも書きましたが、「求められている本谷有希子を小手先で表現している感」があるのです。ひどいことを承知で言えば「飽きた」のかもしれません。えんぺとか観ても絶賛されていますし、フラットな状態で観れば良い作品なのかも。

個人的に気になってしまった点を書いておきます。

  • 自分大好きにみえない

タイトルになっている「遭難、」。恐らく自分が大好きな主人公が保身のために走った行動によって、逆に窮地に追い込まれていく様子を「遭難」と称したのだと思いますが。この主人公がどうにも「自分大好き」に見えなくて「なーにが“遭難”ですか」と思ってしまいました。「自分大好き」以上に「単なるおばかさん」に見えてしまったのです。筋金入りの自分好きは「他人の中でうまくやってるフリを出来ている自分も好きなんじゃないかね」と思うので、主人公のやっている場当たり的な対処療法はどうみてもその後に有効に働くようにみえなくて。「遭難」とか言っちゃってるけど、その後破綻するのは当たり前すぎるでしょう、と。それに、「他人のことは分からない」と言ってしまっている割に、人のことを安易に信じすぎなように見えます。吉本菜穂子さん演ずる先生にあっさり手の内を見せすぎていて。

  • 「自分大好きな女」という設定以外のキャラクターがみえない

「自分大好きな女」といえば、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の澄伽を思い出すのですが、澄伽には自分自身に対する焦燥だとか、嫉妬だとかが描かれていて、キャラクターとして生がきちんと注入されていたように思います。今回は「人の気持ちが分からない」人だからこそ描いていないのですよ、という理屈なのかもしれませんが。最後の手前で泣かれてもねぇ……と妙に冷めた目で見てしまったのはそのせいかと。ラストシーンから考えるとそれも術中なのかな。

  • 脅しとしての「自殺」

この作品には、大きく分けると*1「自殺未遂を図った生徒」と「“死ぬわよ”という脅しとしての自殺」がありましたが。「自殺」という要素を通して人間の身勝手さを描きたかったから、だとは思うのですが、すごく軽い。ある意味「自殺」を「いいネタ」としているように感じてしまったのです、書き手にも登場人物にも。自殺をバカにするなよ。もうちょっと頻度が少なかったり、明らかに笑わせるシーンとして浮き立たせてくれればそんなに気にもならなかったのかもしれませんが、ことあるごとにカッターをチチチチとさせる様子には辟易としました。

うーん、全体的に本谷さんが、求められている本谷さんを書こうとして「自分大好き」な主人公を設定したけど、図らずも本谷さん自身の「自分大好き」っぷりが露呈してしまったように見えました。図ってやっているのであれば敬意をもって拍手します。今回はちょっと個人的にそこはやってほしくないんだな、という逆ツボをつかれてしまったのですが、気になる方ではあるし、好きな作品もあるのでまだまだ本谷さんによるイヤミな傑作を観たいのです。各メディアに翻弄されないぶっとい芯をみせてほしいのです。

役者さんは素晴らしかったです。ヤ〜なキャラクターを、コミカルな部分はとことんコミカルに演じてくれたおかげで、観ている方のよい息抜きになりました。最後のあくびもふてぶてしくてねー。にやにやしました。吉本さんも相変わらずどっしりとして頼もしく、このお二人の掛け合いのところはホント楽しかった。

*1:話の中だけで登場した「自殺未遂」は他にもあったので