sugar-free

「おあずけとなった今年の夏のいい日を、きっと俺達はとり返そうぜ」

息子のまなざし

本日最終日の最終回に関内MGAにて鑑賞。思いっきりノーチェックだったのですが、今日の午前中にちょいとさぼってみたサイトでみなまで語らず絶賛してあったのを見て、本日最終日なのを知ってかけつけてみた。

ベルギー映画といえば、マイフェイバリット映画のうちの一つ、トト・ザ・ヒーロー。きっと一筋縄ではいかない映画のハズ!と勝手に確信し、映画タイトル以外、あらすじもキャストも監督も知らないまま鑑賞しました。

果たして……素晴らしかったです。(以下、ネタバレしまくりです)



タイトルが表示されたと思ったらいきなり始まる淡々とした映像。音楽が全くありませんでした(それも見終わってから気づきました)。少ししたらすぐ気づくのがカメラワークの非凡(不自然?)さ。全編、画面の半分くらいに何かしらのアップがある状態。大体が主役のオリヴィエの後姿やアップなのですが、やっと引きの映像が!と思っても、画面の1/3は手前にある壁が移りこんでいたり。奥さんとの会話シーンだって、普通は二人を一画面に映して会話させるんでしょうが、話している二人の度アップが交互に映る。……ちょいと酔いそうに。

ストーリーがすすむにつれて、オリヴィエは息子を無くしていること、出所してきた男の子はそのオリヴィエの息子を殺した人物であることが判明。現代は「Le Fils」。直訳すれば「息子」ですよね。これの邦題が「息子のまなざし」になった訳……。そうか、私たちが息子なんだなぁ、と。

オリヴィエのとまどいを含め、淡々と描かれるストーリー。オリヴィエが木工クラスの先生をしているという設定上、犯人の男の子と過ごす時間には、「ノミ」「溶接バール」「やすり」「ロープ」「大きな木材」などなど、武器となり得るツールがてんこ盛り。何か起こる?とつい思ってしまうんですが、「いや、でもこの映画、ベルギー映画だし、きっとそんなに分かりやすい出来事は起こらなそうだよな。何か起こるとしたらオリヴィエが男の子の身代わりになっちゃう、とか、不条理系だろうな。」と予測しながら鑑賞。

そして、そんな予測がバカバカしいほどのラスト。

あぁ……。
今までとなんら変わらない作業をしながら唐突に告白される真実、真実を告げた瞬間の表情さえ映されることなく逃げ出す男の子、「話がしたいだけだ」と追いかけるオリヴィエ、首を締めようとしてもできずに立ち去るオリヴィエ、何もなかったようにいつものように木材を積みこむオリヴィエ、戻ってくる男の子、何もなかったようにいつものように作業し始める二人。
戻ってきた後だって、木材もロープもあるけど、攻撃的な行動はなされない。お互いに。

きっと、この後も、この数日間と同じ迷いと吐露と許しとが何回も何回も繰り返されるのでしょう。許せるかもしれない、と思って顔を見るとやはり親密になりきれない、なりえないことを自覚する。そんなことを繰り返すんでしょう。時には男の子を殺してしまいたくなったりもするでしょう。抱きしめたくなったりもするでしょう。その結果がどうなるかは私には予測できない。ただ、2人の「前進しよう」「生きていこう」という意思を感じました。

すごい。
この映画が「犯罪の加害者、被害者」の関係を描いている、という点を考慮すると不謹慎な発言かもしれませんが、私は、この映画は世の中に存在するあらゆるタイプの「許す許さないの問題じゃない」出来事に対して一つのとっかかりを、それこそ赦しを提示しているのではないかと感じました。